882
脇差
銘 帝室技藝員菅原包則八十八作
大正六年三月八日
神護飯野吉三郎大開運大発展守刀


Wakizashi
signature
Teishitsu gigei-in, Sugawara Kanenori 88 saku

Taisho 6 nen 3 gatsu 8 nichi
Shingo Iino Kichisaburo, Daikaiun Daihatten Mamori gatana



伯耆国-山城国-東京 大正6年(1917年) 99年前


刃長 (hacho)

一尺三寸二分六厘
(40.2cm)

反り (sori)
四分九厘
(1.5cm)
元幅 (motohaba)
八分二厘強(2.51cm)
先幅 (sakihaba)
五分六厘(1.7cm)
棟重ね
(Mune-gasane)
二分一厘(0.64cm)
鎬重ね
(Shinogi-gasane)
二分(0.61cm)

銀地二重ハバキ
白鞘入
昭和45年熊本県登録(8月17日 28342号)
保存刀剣鑑定書
certificate
NBTHK (Hozon)

価格 30万円
Price 300,000JPY


 飯野吉三郎(いいのきちさぶろう)は慶應三年美濃岩村藩士飯野益衛の三男として生まれる。曾祖父が側用人を務めて百石の禄を食んだ上士飯野家も、維新後は没落し、吉三郎は二十歳の時に上京。諸職を転々とした後、麹町で占い師を開業。生気凛凛、威風堂々としていて的中率高く、依頼主には皇族や政財界の人も少なくなく、殊に日露戦争で日本海海戦の勝利と時刻、場所までも的中させて大評判となり、東京隠田の邸宅に宗教団体を設立、隠田の神様と呼ばれた。
 この脇差は大正六年飯野吉三郎の需で、帝室技芸員菅原包則(注1)が「神護大開運大発展守刀」と銘打って精鍛した備前伝の作(注2)。身幅尋常で腰反り高く中鋒の太刀を縮小したような優美な姿。地鉄は小杢目肌詰み、地沸厚くつき、互の目丁子乱の刃文は抑揚変化し、小沸ついて刃縁ふっくらと明るく刃中も澄む。帽子は乱れ込み小丸に返る。希代の占い師飯野吉三郎の在りし日と時代の熱狂を伝える記念碑的な一振である。

注1 包則は天保元年伯耆国生まれ。嘉永四年備前長舩祐包に入門、安政五年独立。文久三年京都三条堀川に鍜治場を構え、慶應二年孝明天皇の御剣を鍛え、明治三十九年帝室技芸員(今日の人間国宝)を拝命。
注2 大正五年「為神霊飯野吉三郎君」と銘して『日本書紀』に記述のある神代の宝剣写を打つ。なお「神護飯野吉三郎内外大発展刀」と銘した大正六年四月十日紀の刀もある(『三朝が生んだ帝室技芸員宮本包則刀剣展』)。

脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀

脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差表 区上
脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差表 中央
脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差表 鋒
脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差裏 区上

脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差裏 中央

脇差 銘 帝室技藝員菅原包則八十八作 大正六年三月八日 神護飯野吉三郎大開運大発展守刀 差裏 鋒